渡る世間ははげばかり

死ぬな殺すな差別をするな

死刑じゃー

私は被害者家族の感情を盾に取った死刑存続論に激しい違和感を感じます。刑法では傷害致死までは自由を奪う自由刑の懲役で、死刑からは身体刑の死刑が適用されいます。しかし傷害致死でも「殺された」事には変わりません。それで言えば交通事故等死亡事故はどうなるのか。突然家族を奪われのは、故意だろうが過失だらうが、衝撃の大きさは他者でははかりきれない。過失による命が失われた時でも、防げた可能性はいくらでもあった。

 被害者家族への配慮を口にするなら物心両面でのケアの充実を考えるのが重要では。第一、殺されたから殺せと言うなら目に目をで、同じ身体的ダメージを与えないといけません。しかし、被害者が身体障害者になっても、加害者の身体は傷つけられないのが日本の刑法。そこを無視した上べだけの被害者感情尊重論にはとても与する事は出来ません。

 何より、「人の命を奪って罪に問われた奴の命を奪う」のでは、つまり「命を奪ったから命を奪う」のでは、「命を奪ったら駄目」と言ってる事になりません。なんか「山上を死刑に」と言うハッシュタグが出回ってますが、彼やあの忌まわしい相模原の人でなしも他者の命を奪う権利はないのです。だから私は死刑廃止を求めているのです。

「国へ帰りなさい」

最近SNSで良く「国へ帰りなさい」と言われます。現在住んでいる埼玉から京都へ帰りたい気持ちもありますが、諸事情により埼玉で生涯を終える可能性が高いと思います。SNSでの「帰れ」という意味とは違うようですが。
 そういえば大昔に共産党が「勝共連合は韓国へ帰れ」をスローガンにしていたことを思い出しました。今これを言い出すと色々と面倒くさくなりますが、実際勝共連合統一教会は韓国原産ですから、少なくともSNSで意見の合わない人を反日外国人として「日本から出ていけ」と言う人たちよりは理屈にあっています。
 私はそういった人たちに「憲法、特に9条と前文嫌いな奴は日本から出ていけ」と思っていますが、その筆頭が、永遠に日本から出ていきました。もう戻れません。

六甲おろしのカラオケで

六甲おろしのカラオケで

安倍晋三
今何処に
釜茹でされて
針の山
「地獄」の漢字が
読めぬから
天国来たと
思〜ってる
バッカバッカッカ
馬鹿は死んだら
治せない‘

地獄でぼやく
閻魔様
いったい何枚
あるのかと
四九日も
過ぎたのに
まだまだ抜けぬ
安倍の舌
バッハハッハッハ
未来永劫
抜かれてろ

千の風になってのカラオケで

安倍~のお墓に向けて 
つば吐きかけたって
そこに安倍はいません 
もちろん地獄です
針の山や
鬼に切り刻まれて
未来永劫
苦しみ〜
救われないでしょう

もしもし亀よのカラオケで

もしもし
安倍よ晋三よ
世界の内で
貴様ほど
地獄が似合う
者はない
針のお山で
泣いていろ

もしもし
安倍よ晋三よ
何で貴様の
葬式を
税金かけて
やるんだよ
壺買った人に
金返せ 

ただただ、タダヨリ怖い安倍晋三

 

私は容疑者を英雄視したくはない。国民を戦地に追いやれる体制を作り、他者の命を決定する権利があるようにふるまった安倍晋三を許せないように、あらゆる暴力行為は認められるはずがない。

ただこう言った境遇に苦しむ人たちが、こんな暴挙でしか光が当たらかなったことが、こういう形でしか、安倍晋三自民党統一教会を追及できない事が本当に腹立たしい。

ただ、まさに安倍晋三相応しい、因果応報自業自得の自己責任でしかないクタバリ方としか言いようがない。カラマーゾフの兄弟で、ミーチャがスメルジャコフ自殺の報を受けて発した「犬には犬らしい死に様があらあ!」というセリフしか思い浮かばない。もっとこれは統一教会の被害者の方々、そして愛犬家、犬猫殺処分反対・里親運動に取り組まれてる方には甚だ失礼だとは思うが・・f:id:f-m-doskume:20220812121543j:image

ウクライナ戦争に関する素朴な疑問


1.大量破壊兵器を隠しているといってイラクに侵攻し、「結局無かった」と言いながらイラクのあらゆる権益を奪い取ったアメリカを批判しない者が今のロシアを批判する資格があるのか?
2.リビアに「人道上の見地」で空爆してカダフィ殺害・政権崩壊に導いたNATOを批判しないものに、ロシアはウクライナの内政に干渉して攻め入ったと批判する権利はあるのか?
3.ウクライナ現政権はナチスファシストでロシア語系住民を迫害しているからロシアの侵攻を支持すると言ったら、日本の現政権はファシスト嫌韓反中のヘイト主義者が在日居留民を迫害しているから攻めると言った時に反論できる現状か?

アプリオリ(自明の理の意味で)ではないのか

働き方改革論議の掉尾を飾るかのように、現在「ジョブ型雇用への転換」との文字が各メディアで盛んに見受けられる。「ジョブ型雇用」のネット検索で見出されるのは、「従業員に対する職務内容・勤務地・勤務時間などの条件を明確に定義し、異動や転勤、昇進・降格はなく成果で評価する雇用制度であり従業員は定められた契約の範囲内で業務を遂行」し、「単純な労働時間の長さで評価される」ことはなく、「成果主義との差異が強調されなければならない」との説明である。
 しかし、日本の企業で適用された場合、本当にそのままの形で、そのままの理解で採用されるのか。単に成果主義の導入促進が企図されているのはと考えられても仕方がない。働く人の「時間」を買って来た企業が、労働者から、技術、スキル等を買う、つまり、スポーツ選手や芸能人、芸術家等の人々が作った作品を評価し売買契約を結ぶのと同じようにする「働き方改革」ではないのかと言う不安が払拭されるのか。
 今世紀初頭の所謂「小泉景気」の時、多くの人はそれを実感できなかった。それは給与が上がらなかったからである。好景気を世間に分配しようという声に対し、企業側は、景気後退時の備えが必要として、「賃上げか雇用か」と労働側に迫り、ベースアップは見送られ続けた。では賃上げの代償としても守られるはずの雇用はどうなったのか。「労働市場の流動化促進」の名のもとに、非正規雇用が雇用の調整弁として使われ、現在4割を超えている。
 黒田日銀総裁は「物価上昇・物価上昇」とお題目を唱えていたが、給与が上がらず物価だけ上がったらどうなるのか。・・・「稼ぐに追いつく貧乏なし」ということわざがあるが、働いても稼ぎが上がらず、「貧乏に追いつけていない」ことを示しているのが、今の貧困や格差を伝える記事がではないのか。
自民党総裁選で、安倍元首相の疑惑解明に対し、「自明である」との意味でアプリオリと表現した候補者がいた。本当に正しい言葉の使い方が正しいかは疑問だが、賃金が上がらず物価が上がれば貧困・格差が大きくなるのはそれこそアプリオリである。そして労働市場の流動化、働き方改革と言うのなら、働く人のへのセーフティネット構築もアプリオリであろう。ジョブ型として、能力主義成果主義と言うのなら、企業の人的資源管理、社会教育の一層の促進という事こそが・アプリオリ(自明の理の意味で)ではないのか。