渡る世間ははげばかり

死ぬな殺すな差別をするな

アプリオリ(自明の理の意味で)ではないのか

働き方改革論議の掉尾を飾るかのように、現在「ジョブ型雇用への転換」との文字が各メディアで盛んに見受けられる。「ジョブ型雇用」のネット検索で見出されるのは、「従業員に対する職務内容・勤務地・勤務時間などの条件を明確に定義し、異動や転勤、昇進・降格はなく成果で評価する雇用制度であり従業員は定められた契約の範囲内で業務を遂行」し、「単純な労働時間の長さで評価される」ことはなく、「成果主義との差異が強調されなければならない」との説明である。
 しかし、日本の企業で適用された場合、本当にそのままの形で、そのままの理解で採用されるのか。単に成果主義の導入促進が企図されているのはと考えられても仕方がない。働く人の「時間」を買って来た企業が、労働者から、技術、スキル等を買う、つまり、スポーツ選手や芸能人、芸術家等の人々が作った作品を評価し売買契約を結ぶのと同じようにする「働き方改革」ではないのかと言う不安が払拭されるのか。
 今世紀初頭の所謂「小泉景気」の時、多くの人はそれを実感できなかった。それは給与が上がらなかったからである。好景気を世間に分配しようという声に対し、企業側は、景気後退時の備えが必要として、「賃上げか雇用か」と労働側に迫り、ベースアップは見送られ続けた。では賃上げの代償としても守られるはずの雇用はどうなったのか。「労働市場の流動化促進」の名のもとに、非正規雇用が雇用の調整弁として使われ、現在4割を超えている。
 黒田日銀総裁は「物価上昇・物価上昇」とお題目を唱えていたが、給与が上がらず物価だけ上がったらどうなるのか。・・・「稼ぐに追いつく貧乏なし」ということわざがあるが、働いても稼ぎが上がらず、「貧乏に追いつけていない」ことを示しているのが、今の貧困や格差を伝える記事がではないのか。
自民党総裁選で、安倍元首相の疑惑解明に対し、「自明である」との意味でアプリオリと表現した候補者がいた。本当に正しい言葉の使い方が正しいかは疑問だが、賃金が上がらず物価が上がれば貧困・格差が大きくなるのはそれこそアプリオリである。そして労働市場の流動化、働き方改革と言うのなら、働く人のへのセーフティネット構築もアプリオリであろう。ジョブ型として、能力主義成果主義と言うのなら、企業の人的資源管理、社会教育の一層の促進という事こそが・アプリオリ(自明の理の意味で)ではないのか。