渡る世間ははげばかり

死ぬな殺すな差別をするな

一種の約束事

 昔から私は、天皇制とは「人を上へ差別する」という日本語にならない、悲しいイデオロギーやと思ってます。これからも「国民」と認めず、「法の下の平等の枠外」に置くのでしょうか。

   昔から私は、天皇制とは「人を上へ差別する」という日本語にならない、悲しいイデオロギーやと思ってます。これからも「国民」と認めず、「法の下の平等の枠外」に置くのでしょうか。

    孟子は「民を貴しと為し、社稷之(これ)に次ぎ、君を軽しと為す」(盡心章句下)、つまり政治にとって人民が最も大切で、次に社稷(国家の祭神)が来て、君主などは軽いと明言している。あくまで人民あっての君主であり、君主あっての人民ではないという。これは晩年弟子に語った言葉であると考えられているが、各国君主との問答でも、「君を軽しと為す」とは言わないまでも人民を重視するのが孟子に一貫しています。

     私の天皇制・天皇家についての認識は、たまたま「尊い血筋」と昔から「決められている」家に生まれて来た人たちであり、当然憲法の範囲内で認識・理解すべきであり、「法の下の平等」のなかに天皇家もあるのは当然で、「皇室典範」の条項改正によりで現憲法下でも人間皆平等であるとすべきと思ってます。

皇室や被差別部落と言うのはあくまでかってに人間が、日本人が作ったもので、自然にあるものではありません。政府とか国家も自然にあるのではなく、人間が暮らしていくのに必要と思って作った一種の約束事に過ぎず、言わば人間が生活するための道具・手段と思ってます。