一種の約束事
昔から私は、天皇制とは「人を上へ差別する」という日本語にならない、悲しいイデオロギーやと思ってます。これからも「国民」と認めず、「法の下の平等の枠外」に置くのでしょうか。
昔から私は、天皇制とは「人を上へ差別する」という日本語にならない、悲しいイデオロギーやと思ってます。これからも「国民」と認めず、「法の下の平等の枠外」に置くのでしょうか。
孟子は「民を貴しと為し、社稷之(これ)に次ぎ、君を軽しと為す」(盡心章句下)、つまり政治にとって人民が最も大切で、次に社稷(国家の祭神)が来て、君主などは軽いと明言している。あくまで人民あっての君主であり、君主あっての人民ではないという。これは晩年弟子に語った言葉であると考えられているが、各国君主との問答でも、「君を軽しと為す」とは言わないまでも人民を重視するのが孟子に一貫しています。
私の天皇制・天皇家についての認識は、たまたま「尊い血筋」と昔から「決められている」家に生まれて来た人たちであり、当然憲法の範囲内で認識・理解すべきであり、「法の下の平等」のなかに天皇家もあるのは当然で、「皇室典範」の条項改正によりで現憲法下でも人間皆平等であるとすべきと思ってます。
皇室や被差別部落と言うのはあくまでかってに人間が、日本人が作ったもので、自然にあるものではありません。政府とか国家も自然にあるのではなく、人間が暮らしていくのに必要と思って作った一種の約束事に過ぎず、言わば人間が生活するための道具・手段と思ってます。
筒井と光子と筒井読者はHIVの方に噛みついて頂け
記憶に残る醜悪な新潮45騒動で筒井は「表現・思想信条の自由」をツイッター等でほざいたようだが、ローラさんやウーマンラッシュアワー等の言わば、対権力的な場合はそういう言葉は間違っても発しない。
結局筒井は「弱きを嗤い強きに阿ねるが」がその姿勢で、単に文字を通して差別・弱いもの虐めがしたいだけ話である。
「言葉狩り」と言えば聞こえが良く、いかにも強大な権力、その「焚書坑儒」に抗っているようだが、その中身は弱いもの虐めに適当な酷い言葉を使わせろと拗ねてるだけである。
現在のLGBTやHIVの方への偏見と差別は筒井の「唯野教授」の影響が少なからず大きいと思われる。筒井の読者はLGBTやHIVの方の前で同書を読み上げられるのならやってみれば良いと言いたいが、本当に読み上げや挙げ句、「お前等の苦痛は自己責任」と言いかねないので撤回する。
現在ネトウヨにも人気の筒井だが、それは奴とヘイト集団の言う表現の自由が人を傷つける自由、社会的責任を取らない自由と言う点で同じだからである。
てんかん協会のHPに「心無い言葉やバッシングという新たな問題」「てんかんのある人やご家族が傷つくことがないようにと願う」---でこんな悲しい言葉が出るのはやはり筒井の責任が大きいが、この文言を嘲笑うのが筒井とその読者である。
かって筒井作品に傾倒した高校生が祖母を殺して自殺すると言う悲劇があったが、それに対して筒井は「人殺しも許容する毒があるから文学は美しいと言って」下品を標榜した。
しかし、自分が阪神大震災の被災者になると、「震災をネタにするな」と言い出した。それはまさに偽善者であり、他人の事は傷つけても良いが自分は傷つけられたくないという、どうしようもない輩であることの証明である。
唯野教授で、HIVの方に噛まれたら感染ると言うセリフがあったが、本当にうつるかどうか筒井と光子と筒井読者はHIVの方に噛みついて頂けと言いたい。
同い年
よく考えたら私は、現お天子様と同い年(学年では下)ですが、生後半世紀を超えてからマラソンを始め、現在11回のフルマラソン完走を達成するとともに、アレント・レヴィナス・ウィントゲンシュタインを中心に哲学を読み進め、そして南沢奈央さんの笑顔と、欅坂・日向坂・エビ中・たこ虹・バッ少の皆さんに癒されながら、命を楽しみその重みを感じて人生を享受しています。
そのため人間をコマ扱いする新自由主義、人の尊厳を踏みにじるレイシズム、人の命の重さを無視する戦争に対し徹底して抵抗し、そのため現憲法を守り生かしていくことこそ残され人生の務めと思ってます。
マラソン・哲学・アイドルに凝ることで人からは少年のように言われており、私も人生まだまだと思ってますが、実際問題としてこの歳であの地位を引き継ぐことなど考えられません。しかも自分の意思を無視し生まれた家だけで決められるなど、よく考えたらおかしいと思うべきではないでしょうか。実際この歳で即位するわけですから、何年かしたら同じ事が起こる可能性が大です。
現上皇様は、天皇制も憲法下にあると理解した上で、象徴は職務であり、そしてその地位を果たせないと判断されたから生前退位されたわけです。
ですから現憲法下に合うよう皇室典範改正を求めていくべきです!
天皇制は日本列島に住む者が作ってきた統治システムに過ぎない
天皇制は日本列島に住む者が作ってきた統治システムに過ぎず、人間が作ったシステムに不都合があれば変えていくべき。
安倍は死んでも治らない
常識的に考えて市井や云々に背後、画一化も読めない奴が国会議員や総理になった挙句改憲をたくらむなど悪夢以外のなにものでもない。
立法府と行政府を何度も言い間違えるのは三権分立の理解が基本的に無いからである。挙句の果てに法の支配の反意語が人の支配であることも知らなかった。こんな存在が提唱する改憲に希望があると言うのか。
また此奴を支持する曾野綾子は作家タブーに守られている事を良いことに障碍者の人権否定や弱者の自己責任を強調ばかりしている。
此奴を積極的に支援する経団連名誉会長は「国民が痛みを感じる改革」と事あるごとにに繰り返し、私達の心胆寒からしめている。
内実は蜜月関係にあるとされる松井や橋下は、労働基本法適用外特区案を提出した程である。
こんな奴らが口にする改憲に夢も希望もない。
天皇家も法の下の平等の枠内にある。世襲は皇室典範改正により養子は勿論噺家や歌舞伎役者の襲名と同義の解釈も可能。